福田真理香

 日体大4年の福田真理香です。私はブリッジを通し、日本とアメリカで大学生活を7年間経験することができました。ブリッジへ参加したのは、大学1年目の終わりと2年目の終わりです。('06,'07)1回目のブリッジに参加したときは留学への興味がわき、2回目のブリッジに参加して留学への決意をしました。
日体大3年生の夏から、3年間アメリカの大学へサッカー留学しました。全く英語が話せない状態の私でしたが、様々な人に助けられ大学の授業を受け勉強し、友達との会話でさえも私にとって英語の勉強でした。アメリカの大学に留学するということは、とにかく毎日が受験勉強のように勉強しないと周りの外国人には追いつかない!というのが私の意見です。大学のチームメイトは7か国から集まっていたので、個性豊かでした。3年目にはそんなチームのキャプテンを任せられたことが、苦労ではあったものの、とても良い経験でした。そしてサッカーをしながら、アメリカの4年生大学を3年間で卒業できたことも、私の中で大きな経験の一つだと言えます。3年間数えきれないほどの困難はありましたが、それにも増して現地で出会えた多くの方々の支えがあったからこそ、諦めることなく全て乗り越えることができたと思っています。本当に現地の方々には今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
 そして2010年5月、アメリカの大学を卒業後すぐに帰国し、日体大に再入学しました。日本に帰ってきてやるべきことは2つ。就職活動に取り組み、「将来について真剣に考える」こと。そしてサッカー部に戻って、「国立のピッチに立ちインカレを優勝する」ことでした。3年生からの再スタートでしたので、約2年間はありました。サッカーと平行し、就活には全力で取り組み、自分と向き合い、将来グローバルな舞台で活躍したという軸を見つけることができました。就活はどの会社に受かることが大切ではなく、自分の特徴を把握し、その自分に合った会社を見抜くことを目的とすべきだと実感しました。そして様々な会社の面接を受けた中で、私の特徴を理解し評価してくださった、ANAから総合職事務職として内定をいただくことができました。
 サッカーでは、5月末に膝の前十字靭帯を断裂し6月半ばに手術をしました。年内復帰は厳しいと言われましたが、インカレにどうしても出場したかったので、少しの可能性に賭けて、健常である逆膝から腱を移植しました。そんな大がかりな手術でしたが、良い医者やリハビリの先生に恵まれ、復帰に向けて最善を尽くすことができました。そのおかげで、5か月半で復帰することができ、目標であったインカレ(準決勝より)のピッチに立つことができました。そしてアメリカに行く前から目標にしていた、「国立のピッチに立ち、金メダルを取る!」ことを実現することができました。
 19年間のサッカー人生を国立の舞台で迎えられ、優勝して締めくくることができ本当に幸せです。7年間という長い大学生活、苦しい事ばかりでしたが、それは最後の最高の瞬間につながっていたと確信しました。人より時間はかかっても、私はあの時サッカー留学して本当に本当によかったと思っています。大好きなサッカーを通し、自分の可能性を無限に広げることができました。サッカー留学をするにあたり、両親・家族の支えだけでなく、みーみ・かなぴーを始めブリッジファミリーの皆様に助けていただきました。また、7年間という大学生活においても、多くの方々の支えなしではやってこられませんでした。今後この経験を活かし、一人前の社会人になり、仕事で活躍し、みなさんに恩返しできるように努力していきたいと思っています。
 

 ありがとうございました。
 福田 真理香